第四話






馬鹿みたいに風が笑って


いろんなものが


飛んでいった









たどり着いた集落は川を中心としたつくりになっていた。集落は土塁で囲われ、その内側に堀があった。いくつかの水田があり、人は少なかった。
川から少し離れた場所に柵を作り馬を放していて、その横に大きな高床式の住居があった。その影にひっそりと小屋が建てられていて、我々はそこで暫らく休養をとることになった。
広さから見て、もともと人が住んでいたようだが、今では錆びた農具が無造作に置かれ、物置のようになっていたそこを、その小屋の持ち主である夫婦は実に機械的に片付けた。食事は彼らの仕事の手伝いと交換条件だった。淡々と時間などを取り決めて、最後に一言薬草の取れる場所を教えて、夫婦は去っていった。

その夫婦だけでなく、どこかよそよそしい村全体に、我々が歓迎されてはいなかったことは間違いない。だがそれは我々にとっては有難かった。今の我々の状況で、見知らぬ村人たちにまで笑顔を振りまく余裕はなかった。


そもそも、なぜ、相模の村人が我々を騙したのか。
理由は単純明快で、相模の国がヤマトの対抗勢力だったからだ。東国にはまだまだヤマト王権を良しとしない国がたくさんある。相模の国もその一つだった。そのために私が東国遠征に駆り出されているのだから、我々ももっと警戒心を持つべきだったのだ。豪族の住む大きな居館もない、静かな村落だと思ってつい気を抜いてしまっていた。

しかし、サダルが傷を負ったのは、ヒメをかばったためだ。私ではない。
なぜヒメが狙われたのか、はっきりとした理由はわからなかった。だが、推測はあった。


「……相模の国造達の命ではなく、村人たちの意思だということですか」

「おそらくだが。女は災いを招くといわれている。我々の国でそんな迷信を信じるものはいないが、こう田舎だとな。彼らが信じるものは国造達なんかじゃない。彼らはよく雨が振って、昨年より多くの米が収穫できればそれでいいんだ」

「なるほど……」


サルメは自分を納得させるように、緩慢に頷いた。
宵の月が稲穂を照らす時、ヒメは既に眠っており、サダルは昼間と同じ体勢で横になっていた。
私とサルメは極小さな声で話していたが、それでも我々の間に沈黙が降りるとサダルの苦しげな息遣いが部屋に響いた。
サルメはぼんやりとささくれ立った床の一点を見つめ、そしてぽつりと言った。


「迷信……だと思われますか」

「……サルメ、私の話も憶測に過ぎない」

「それは……そうですが。現に村人達は彼女を狙っていた。やはり、これ以上は……」

「サルメ。きっと彼女はそれを承知しないよ。ヒメの性格はお前もわかるだろう」


私の言葉にサルメももう何も言わなかった。彼女は私の妻で、彼女は私を愛している。
例え危険でも、自分が傷つくことがわかっていても、彼女は私のそばにいることを選ぶだろう。もとよりその覚悟があったからこそ、この旅に同行することを承知したのだ。或いは……、彼女は私が帰らないと感じていたのかもしれないが。わずかな供と、たったの三人で東の豪族、神を全て退治するなど不可能だと思ったのかもしれない。二度と会えなくなるのなら、いっそ共に行こう、と。

そこまで考えて、私は小さく嘆息した。事実、今回も危なかった。過酷な旅だとは覚悟していたものの、こうして仲間の一人が命の危機に晒されて、改めて現実を突きつけられた。
漠然とした不安が形になって私の胸を締め付ける。

私はふと彼の名を呟いた。言葉にすることで彼の生存を認識したかったのだと思う。荒い呼吸とともにサダルの布団が微かに上下している。
起きているのか、眠っているのかはわからない。だが、少しずつ回復に向かっているサダルを、私は何とか見られるようになっていた。

この村に着いたときは、それはひどかった。
サダルの青白かった顔は次第に赤くなり、体温が急激に上がった。何も食べていないのに嘔吐を繰り返し、仕舞いには血を吐いた。体中が痙攣したように震え、その手を握れば熱いのに、サルメといるときには、うわ言の様に「寒い」と繰り返していた。意識はかろうじてあるようで、私が彼の視界にいるときには彼は気丈に耐えていた。
あの日から数週間がたった今では、痙攣は治まり、ものも少しずつ食べられるようになっていた。あとは高熱が引くのを待つだけだった。

私はサダルと二人になりたかった。
ずっと我慢してきたような気がする。
あの時、サダルが毒矢に射られた時、私は何もできなかった。本当ならできた気がする。サルメよりも先に、彼を抱きかかえて、毒を取り除いてやることができた気がする。以前ならば。
あまりに距離が開きすぎてしまった。以前ならば、私は私自身の力で彼をつなぎとめることができた。だが、あまりに遠くなった彼の存在を、今は見ていることしかできなくなってしまった。

あるとき、ヒメが久しぶりに笑顔で外から帰ってきた。


「ねぇ、上の部屋を使っていいって。今片付けてくれているわ」
「本当に?なぜ、また……」

「ここを貸してくださったおば様と話していたんです。サダルの様態を話したら、そんな狭い部屋に四人もいては熱も下がらないだろうって。話してみたらとってもいい人よ」


ヒメは走ってきたのか少し息を切らしていた。だがその笑顔は久しぶりだった。彼女も、口にはしないものの、ずっと罪悪感があったのだ。何も言わなかったのは、言ったところで私やサルメがヒメを庇い慰めるだけだと知っていたのだろう。彼女もまた、影で私たちの役に立とうとしていた。

風通しの良い二階でサダルを休ませることになった。そして例のごとく、サルメも上の部屋に移り、サダルを看る役割を当たり前のように買って出た。

私とヒメは一階で地図を眺めたり、村人の仕事を手伝ったり、たまに少し遠出をしてサダルの傷口に塗る薬草を集めて調合したりしていた。時折沈黙が流れたがそれも仕方のないことだった。その沈黙は単に話題の貧困であったり、先の旅路を想像しての緊張感であったりと様々だった。だが、やはりそういうときに私の脳内を占めるのはサダルの事だった。